
▲水と緑のふれあい公園にある歌碑
逢ひたかる人みな失せし川べりの村歩みをり眠れるわれは
大野誠夫の死の4年前に詠まれ、歌集『水観』に収められている。身体の衰えを知るにつれ、故郷が懐かしく想い出された。気がつくと夢の中で子どもの頃遊んだ利根の川べりを歩いている自分がいた。逢いたい人はたくさんいたのにもう誰もいない。誠夫の郷里を恋い慕った一首。
大野誠夫(1914~1984)は河内町生れの歌人で、昭和59年2月7日熱海で69歳の生涯を閉じるまで、常に日本歌壇の第一線で活躍した。
大正3年に稲敷郡生板村藤蔵河岸(現河内町竜ヶ崎町歩)の大地主、回漕問屋「大野屋」の四男に生れ、龍ケ崎中学校(現竜ケ崎一高)時代に国語教師長南杜子夫(俊雄)の勧めで短歌をはじめ、卒業後画家を目指したが病で挫折、その後苦難にみちた日々を送るが、戦後間もなく『短歌研究』に「薄明」42首を発表して一躍脚光を浴びた。その歌を収めた第一歌集『薔薇祭』は、戦後の風俗を芸術派の立場から表現し、独自の抒情世界を開拓し、戦後の記念碑的歌集と高く評価された。その代表的な歌が次の一首である。
兵たりしものさまよへる風の市白きマフラーをまきゐたり哀し
大野誠夫の生誕90年、没後20年にあたる平成16年5月23日、短歌史上の彼の大きな足跡を生誕の地にも留め置くため、かわち水と緑のふれあい公園に歌碑が建立された。