この地は宮渕集落の入口に当たり、地元の人が「カナエ塚」と呼んだ庚申塚があった。庚申の日に眠ると、三尸虫が体内から抜け出て、悪事を天に告げられ寿命が縮まるとの信仰から、講をつくり、青面金剛や猿田彦などの神仏を祀り、飲食をともにして夜を明かし、庚申塔を建てた。
宮渕集落は、元禄元年(1688)、 宮渕村(現龍ケ崎市)の中村茂右衛門、木下の小林勘兵衛らの開拓によると伝えられている。この塔で一番古いのは元文5年(1740)でムラ形成の記念碑ともいえよう。道標は明治22年建立で、権八川岸や田川渡の文字が刻まれていて、この地が交通の要路であったことを示している。
場所 | 庚申塚(庚申塔五基、道標一基) 河内町宮渕69番地の1 |
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