観光・文化

藤蔵河岸の金毘羅常夜燈 【町指定文化財】


▲藤蔵河岸金毘羅常夜燈

 常夜燈は夜通し火を点し航路標識として、また航海安全の神をまつり水路の重要地点に建てられた。藤蔵河岸の常夜燈は天保10年(1838)の建立、慶応4年(1868)再建、明治21年(1888)再々建で以前は中河岸の川べりにあった。総高3.3m、竿部正面に「象頭山」と刻み、航海安全の神・金毘羅大権現をまつっている。昔この地方に疱瘡(天然痘)が大流行した際病人を船に乗せ利根川を流し、その供養のため建てたとの伝えもある。

 江戸時代、藤蔵河岸は仙台領龍ケ崎や河内地方の天領・旗本知行地の年貢米や諸物資を江戸へ輸送し、幕末最盛期には毎日3、40艘の高瀬船が出入りして繁盛した。藤蔵の地名については、猟師、船頭、問屋、先祖などの名に由来すると各説がある。

 藤蔵河岸には上・中・下の三河岸があり、元禄時代すでに中河岸の町田五兵衛、大野庄右衛門が問屋として公認されている。上河岸は奥山新田(現利根町)に属し、下河岸は明治20年代に宮淵(現龍ケ崎市)出身の鴻巣亀吉により開かれた。明治15年頃から蒸気船が就航し蒸気宿になったが、明治29年の常磐線開通により河岸はその役割を閉じた。さらに明治40年からの利根川2期改修工事で流路が大きく変更され、大正3年(1914)集落全戸とともに常夜燈も新堤防内に移転、昭和34年現在の位置に移された。

 近くの稲荷神社の敷地には問屋大野庄右衛門家の大野我羊の句碑が、また県下有数の地主で回漕問屋大野屋に生まれ戦後日本短歌界に名を馳せた大野誠夫の歌碑が実家門前に見える。

場所 河内町生板鍋子新田1819-1

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