
▲岩橋一白の墓、 辞世の句が刻んである。
岩橋一白の句碑 高146センチメートル、幅50センチメートル
正面 『延してものばしてもたらず帋鳶の糸 曇柳斎一白』
右側面 『智風院弄稚(雅)一白居士』
裏面 『曇柳斎一白者俗称岩橋佐輔文政三年歳在庚辰正月十二日以病没于家享年六十有二葬先塋(先祖の墓)之側』
小林一茶と親交の厚かった岩橋一白の墓には、まる長の自然石にこの辞世句が刻まれている。一白は俗名を佐輔といい、田川河岸で栄えた上田川の名主役を勤めた。一茶とは葛飾派の宗匠今日庵元夢の同門で、2歳ほど年上であった。一茶の最初の田川訪問は寛政3年(1791)3月末のことで、以来一白62年の生涯のうち、一茶との交渉は30年をこえ、その間一茶の訪問は22回、56泊にも及んだ。
もたいなや昼寝して聞田うえ唄 一茶
どの村の持ちとも見へず蓮の花 一茶
どの牛もよう寝て居るぞちるさくら 一白
穂芒の丸めしものか山の月 一白
なおこの墓地には、俳人片野利助、数学者松浦清政、関口流柔術師範飯島常至らの墓がある。
場所 | 河内町田川242番地 |
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